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抜群の皮肉!今こそ読みたい朝鮮文学|玄鎮健「運のよい日」【あらすじ・解説】

※この記事はネタバレを含みます。

〈目次〉

作品情報

  • 題名:運のよい日
  • 作者:玄鎮健

こんな人にオススメ

  • 読み応えのある短篇小説が読みたい
  • 植民地時代の朝鮮文学に興味がある

あらすじ

人力車夫の金僉知には病気の妻と子どもがいますが稼ぎが少なく、食事も満足にできない貧しい生活を送っています。

でもその日はついていました

珍しく客に恵まれ、滅多にないほど多くの稼ぎを得たのです。

調子に乗った金僉知は、その稼ぎで友人と飲みに行きます。

しかしすっかり酔った金僉知が妻の食べたがっていた雪濃湯を買って家に帰ると、妻は息絶えていたのです。

「今日はついている日だったのに」

金僉知が嘆いて、物語は終わります。

解説

作者:玄鎮健について

筆者である玄鎮健は、1900年に朝鮮で生まれました。

1915年に早婚し、東京や上海への留学経験を経て、1920年に朝鮮に帰国してから小説家としてデビューしました。

ところが1936年の日章旗抹消事件の際に問題となった『東亜日報』で働いていたため、辞職に追い込まれてしまいました。

その後新たな小説を発表できないまま、1943年に結核により死亡しました。

玄鎮健が生きた頃の朝鮮

その頃の朝鮮はまさに日本の植民地支配下にあり、日本の検閲システムが朝鮮の創作活動を非常に不便なものにしていました。

「運のよい日」が書かれた1920年代は1919年の3・1独立運動を経て、社会的に日本への対抗意識と朝鮮人の独立意識が高まった時代です。

そんな中で書かれた作品の多くは、日本の植民統治への批判を間接的に含むものや、朝鮮人ナショナリズムを鼓舞する内容のものが多くを占めていました。

メッセージ性よりも作品としての完成度を優先

玄鎮健の作品がその中でも特異な点は、メッセージ性よりも作品としての完成度を重視したということです。

というのも玄鎮健の作品は、従来の朝鮮文学作品と比べてとても芸術的なんです。

①リアリズムによる生き生きとした描写

「運のよい日」はリアリズムの手法を用いて、作品内の生き生きとした描写を実現させています。

例えば、立ち飲屋に入ったときのシーン。↓

立ち飲屋はほかほかと暖かかった。どじょう汁を煮る釜のふたをとるたび、もやもやと上がる白い湯気、焼き網でじじいっとあぶられる焼き肉、牡蠣や豚肉や肝や干し明太やピンデトック…このごったに並べられた肴のテーブル。金僉知は急に空腹をおぼえがまんできなくなった。(金鎮健「運のよい日」『朝鮮短篇小説選(上)』三枝壽勝訳、岩波書店1984年、71)

妻が死亡したことを金僉知が知るシーン。↓

とにかく金僉知は戸を勢いよくあけた。吐気をもよおすような臭気ーすり切れたアンペラの下からたち昇るほこりの匂い、洗ってないおしめから出る大小便の匂い、種ヶの垢が、つんとする臭気をたててへばりついた着物の匂い、病人の汗のすえなにおいが混じった臭気が、鈍い金僉知の鼻をついた。(金鎮健「運のよい日」『朝鮮短篇小説選(上)』三枝壽勝訳、岩波書店1984年、77ー78)

とにかくリアルで、場面の様子がありありと浮かんできますよね。

②作品全体を通じる抜群のアイロニー

本作の題名である「運のよい日」はたくさんのお金を稼いで運のよい日を過ごしたはずが、本当は裏で最悪の事態が起こっていたというアイロニーとして機能しています。

これはこの作品に独特のテイストを与え、作品の悲惨さのドラマティックな表現を成功させています。

植民地朝鮮文学としての玄鎮健の作品の意義

植民地時代の朝鮮文学は日本の統治下という特殊性から、必ずといってよいほど植民地支配と結びつけられて分析されてきました。

当ブログで扱った「運のよい日」も、そのリアリズムの表現は単に植民地時代の人びとの生活の惨状を表現しているものとして捉えられてきました。

しかし実際に作品を読んでみると、その技巧の多さと芸術性に気付かされるのです。

私たちは植民地支配下の朝鮮文学作品を分析するとき、植民地支配の視点と結びつけて考えるあまり、その作品の持つ本来の優れた点を無視してしまっているのではないでしょうか

確かにその頃の朝鮮文学の多くがメッセージ性を含むものだったことは事実ですが、朝鮮文学をひとつの作品としてバイアスのない目で分析することの大切さを、玄鎮健の作品は伝えているといえます。

まとめ

植民地支配による影響を受けながらも、優れた作品を残した玄鎮健。

その作品は他の多くの作品と比べて、メッセージ性を二の次にして作品としての完成度を重視した結果、非常に芸術性の高い心に訴えかけるものとなりました。

「運のよい日」が掲載されている『朝鮮短篇小説選(上)』には、他にもたくさんの朝鮮文学が載っているので、興味のある方はぜひ読んでみてください。

参考文献

・金鎮健「運のよい日」『朝鮮短篇小説選(上)』三枝壽勝訳、岩波書店1984

Wikipedia『玄鎮健』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%84%E9%8E%AE%E5%81%A5

アクセス日:2023年7月21日

・世界史の窓『日本の植民地支配』

https://www.y-history.net/appendix/wh1403-066_2.html

アクセス日:2023年7月21日